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東京地方裁判所 平成5年(ワ)2006号 判決

原告

東護

原告

遠藤勝男

原告

神力望

原告

高橋由記子

右原告ら訴訟代理人弁護士

近藤文子

河村信男

被告

イオナインターナショナル株式会社

右代表者代表取締役

川崎節生

右訴訟代理人弁護士

三輪亮壽

主文

一  被告は、原告東護に対し金一一七五万一一〇〇円、同遠藤勝男に対し金一一七四万〇六〇〇円、同神力望に対し金一一七三万八八〇〇円、原告高橋由記子に対し金一二四四万三二〇〇円、及び右各金員に対する平成四年一〇月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを五分し、その三を被告の負担とし、その余を原告らの負担とする。

事実及び理由

第一原告らの請求

被告は、原告東護(以下、原告東という。)に対し金二二八八万五〇〇〇円、同遠藤勝男(以下、原告遠藤という。)に対し金二二九四万三二〇〇円、同神力望(以下、原告神力という、)に対し金一七九五万五三〇〇円、同高橋由記子(以下、原告高橋という。)に対し金一七五〇万円、及び右各金員に対する平成四年一〇月二一日から各支払済みまで年五分の各割合による金員をそれぞれ支払え。

第二事案の概要

一  争いのない事実等

1  被告は、天然イオン配合化粧品「イオナ」の製造・販売を主たる業とする資本金二億円の株式会社である。

2  原告らは、被告の元従業員であり、いずれも平成四年九月三〇日、被告会社を退職した。

原告東は、昭和三七年一一月一日被告会社の前身である川崎樹脂株式会社に入社し、退職時は被告会社の製造部長であり、原告遠藤は、昭和三八年一二月一日右川崎樹脂株式会社に入社し、退職時は被告会社の営業部長であり、原告神力は、昭和五六年六月一日被告会社に入社し、退職時は社長室長であり、原告高橋は、昭和五二年七月一四日被告会社に入社し、退職時は総務課長であった。

3  被告会社の退職金規定三条には、「勤続一年以上の者が退職する場合、退職一時金が支給される。勤務状況により、規定の退職金に加えて、退職功労金を支給することがある。」旨の規定がある。

二  請求の要旨

原告らは、各原告と被告間において、被告会社は、各原告に対し、規定の退職一時金とは別に、次の金額の退職功労金及び給与・賞与補償金を、退職日が平成四年九月三〇日以前の場合は、同年一〇月二〇日限りこれを支払う旨の合意(以下、本件合意という。)が成立したと主張し、その支払を求めた。

1  原告東 金二二八八万五〇〇〇円

(内訳) 〈1〉退職功労金 金二〇〇〇万円

〈2〉給与・賞与補償金 金二八八万五〇〇〇円

2  原告遠藤 金二二九四万三二〇〇円

(内訳) 〈1〉退職功労金 金二〇〇〇万円

〈2〉給与・賞与補償金 金二九四万三二〇〇円

3  原告神力 金一七九五万五三〇〇円

(内訳) 〈1〉退職功労金 金一五〇〇万円

〈2〉給与・賞与補償金 金二九五万五三〇〇円

4  原告高橋 金一七五〇万円

(内訳) 〈1〉退職功労金 金一三五〇万円

〈2〉給与・賞与補償金 金四〇〇万円

三  争点

本件合意の成否及び有効性が争点であり、その点に関する双方の主張は、次のとおりである。

1  原告らの主張

被告会社には、会長である川崎節生(以下、川崎会長という。)、社長である白鳥栄一(以下、白鳥社長という。)及び副社長である川崎仁の三名の代表取締役がおり、白鳥社長が原告らとの退職功労金等に関する交渉に当たっていたが、白鳥社長は、川崎会長の同意を得た上、原告高橋を除く原告らとの間で平成四年七月一日頃、口頭により退職功労金の支払条件等に関する基本的合意(本件合意)をなし、原告高橋との間で同月六日頃、右同様の合意をなし、原告東及び同遠藤について、同月三〇日頃、右合意を書面化した(〈証拠略〉)。

2  被告の主張

〈1〉 本件合意の不成立

本件合意は、その日時や支払金額があいまいであり、成立していないというべきである。

〈2〉 通謀虚偽表示または心裡留保

本件合意は、白鳥社長が被告会社の代表者としてなしたものであるが、同社長は、財務・会計担当であり、人事に関する業務は、川崎会長がこれを担当していた。退職功労金等支払に関する交渉は、人事に関するものであり、白鳥社長には、右交渉に基づく妥結権限がなかった。そして、白鳥社長は、いわゆる「ドカン!」と称する脅迫的言動で川崎会長に圧力をかけるなど、原告らと利益共同体として行動してきた。原告らは、同社長には本件合意の最終的交渉妥結権限がないことを知っていたものであるから本件合意は、通謀虚偽表示または心裡留保により無効というべきである。

〈3〉 無権代理

前記のとおり、白鳥社長には本件合意をなすにあたり、原告らとの交渉に基づく妥結権限がなく、川崎会長から特別授権も与えられていなかったから、本件合意は無権代理行為によるものとして無効である。

〈4〉 公序良俗違反

原告らの被告会社に対する退職慰労金の支払に関する交渉は、実質的に原告らと白鳥社長が一体となり、または同社長を首魁として、いわゆる「ドカン!」をちらつかせる脅迫的な言動によって進められてきた。白鳥社長は、原告東と同遠藤について「合意書」なる文書を作成したものの、原告神力と同高橋について同様の文書を作成することは被告会社に対する背任行為になりうると感じ、その作成を見合わせることとなった。右経緯に照らすと、本件合意は公序良俗に反し無効というべきである。

第三争点に対する判断

一  認定事実

前記争いのない事実等と証拠(〈証拠・人証略〉)によれば、以下の事実が認められる。

1  被告会社は、天然イオン配合化粧品「イオナ」の製造・販売を主たる営業目的としており、川崎会長が株式のほとんどを所有し、創業以来代表取締役としてその経営に当たってきた。

原告東は昭和三七年に、同遠藤は昭和三八年に、それぞれ被告会社の前身である川崎樹脂株式会社に入社して以来、被告会社の経営に尽力してきたものであり、本件合意当時、原告東は製造部長、同遠藤は営業部長の要職にあった。

原告神力は昭和五六年に被告会社に入社して以来、社長室長としてその経営に尽力してきた。

白鳥社長は、川崎会長の学友であり、公認会計士の資格を有し、アーサーアンダーセン会計事務所の日本代表を務め、被告会社の財務会計の指導に当たっていたが、川崎会長が体調を崩し、出社が困難になったことから、平成二年九月一日被告会社の代表取締役社長に就任し、その経営を任されることとなった。

これより先、川崎会長の実兄である川崎仁も、平成二年三月二九日被告会社の代表取締役副社長に就任していた。

2  その後川崎会長は、平成三年六月以降、被告会社に出社しはじめ、同年九月頃、本格的に復帰したが、商品の宣伝方法等をめぐって幹部社員である原告四名、訴外赤沢江理子企画課長(以下、赤沢という。)及び訴外田辺広喜製造部長(以下、田辺という。)らと対立するようになった。

原告ら幹部社員は、平成三年一二月頃、川崎会長に対し、「期待される会長像」なる書面(〈証拠略〉)及び念書(〈証拠略〉)を提示し、これに署名するよう迫った。右「期待される会長像」なる書面には、「自分の言動に責任を持つ。社員を信頼する。大きな度量を持つ。発言する際には会社組織のコミュニケーションチャンネルを遵守する。時間の観念・大切さを身につける。自分の考えに固執せず、それを他人に押しつけることはしない。決断は迅速に行う。社員の私生活に干渉しない。」などと、また右念書には、「会長の家族(配偶者・娘など)の今後の入社及び会社への直接関与は一切無しとする。社員に広く、株を額面で分け与えるものとする。イオナインターナショナル株式会社及び関連会社における経営指揮の実験(ママ)は社長に一本化する。(川崎会長は、)社長の要請のない限り、社員に対する指示、及び外部との接触は、一切行わない。(川崎会長の自宅である)広尾ガーデンヒルズ内企画室を会長室と改め、会長は全業務を会長室で行う。社長の要請がある時のみ、本社、及び他事業所に出向いてもらう。内部・外部の会議は、社長の要請のない限り出席しない。会長は、社長の要請のもと、平成三年一二月末日までに所定の病院にて、精神鑑定を受け、必要に応じて治療を受けることとする。」などと、要求事項が記載されていた。

しかし、川崎会長は、右各書面に署名することを拒絶した。

3  平成四年三月一〇日頃以降、原告らは、有給休暇を取得し、出社しなくなった。

同月三〇日、川崎会長と原告神力、同遠藤及び同東との話合いが白鳥社長立会いの下で行われた。右原告らは、白鳥社長に指揮系統を一本化すること及び被告会社の株式の三五パーセントを譲渡するよう要求した。その一方、右要求は受け入れられない可能性が大きいので、円満退社したいが、退社に当たって、会社資産の五分の一を分与するよう要求した。そして、四月中旬には右支払を済ませたいので、四月三日までに川崎会長から返事をしてほしい、と要望した。

これに対し、川崎会長は、右会社資産の五分の一の分与要求は、常識外であると答えた。なお、当時被告会社の純資産は、三〇億円ないし四〇億円あるものと考えられていた(〈証拠略〉)。

4  平成四年四月八日、被告会社の三輪亮壽弁護士と白鳥社長及び原告四名の話合いが行われた。白鳥社長及び原告四名は、今後とも会社のマイナスになることはしないことを合意したが、原告らは、この合意は、話合いが継続している限りのものであると考えていたのに対し、三輪弁護士は、いかなる事態になってもこの原則は変わらないものと確信している旨述べた(〈証拠略〉)。

5  同月九日、川崎会長、白鳥社長、原告四名及び三輪弁護士の話合いが行われた。川崎会長は、白鳥社長への指揮系統一本化、及び株式の三五パーセントの譲渡要求は受け入れるつもりはない旨述べたが、退職金要求については、次回に前向きかつ建設的な額を提示する旨述べた(〈証拠略〉)。

6  同月一一日、川崎会長、白鳥社長、原告四名及び三輪弁護士の話合いが行われた。川崎会長は、永年勤務した原告東、同遠藤及び田辺には、規定退職金に加えて金三〇〇万円の功労金を支払う旨、原告神力、同高橋及び赤沢には、同様一〇〇万円から二〇〇万円の功労金を支払う旨提示した。これに対し、原告四名は、川崎会長がかつて年収の五年分以上を支払う旨述べたことがあるとし、右年収の五年分ないし前回提示額八億円の間で妥結すべきであると主張した。川崎会長は、年収の五年分以上支払うと述べたことはないと主張した(〈証拠略〉)。

7  同月三〇日、田辺が退職したが、退職功労金として金七五〇万円が支払われた。但し、川崎会長が支払に同意していたのは、金五〇〇万円であったとされる。

8  同年五月七日、三輪弁護士の立会いの下、川崎会長、白鳥社長及び川崎仁副社長の三代表取締役間で業務分担について話合いが行われ、「三代表の見解」として、「川崎会長は、企画・研究・製造・営業・宣伝・人事を担当し、白鳥社長は、財務・会計を担当し、川崎仁副社長は、総務を担当するが、三者は互いに支援し、チェックし合う。会社の意思決定は、三代表の全員一致を原則とし、不一致のときは多数決によるものとする。社命により、原告神力は、従前の業務及びシストラン(機械翻訳装置の研究)について、方針と改善を中心とした建白書を五月末をめどに中間報告する。原告遠藤は、第二工場の業務について、右同様中間報告する。原告東は、第一工場の業務について、右同様中間報告する。原告高橋は、従前の業務について、右同様中間報告する。(原告らに対する)退職金は就業規則に基づいて算出する。」等の合意がなされた(〈証拠略〉)。

右合意は、原告四名にも提示されたが、原告らは、同月一一日、これを受け入れる考えはなく、被告会社に復帰する意思のないこと、及び就業規則どおりの退職金では全く納得がいかない旨を表明した(〈証拠略〉)。

原告らは、同月一三日、退職届を提出したが、同退職届は、直ちには受理されず、三輪弁護士が預かることとなった。

9  同月二六日、白鳥社長と原告四名の話合いが行われ、原告らは退職届を受理するよう強く要求した。そして、社長等会社役員の指示ないし許可を得た場合のみ本社に出社することに同意した。白鳥社長は、満足のいく退職ないし復職の条件を会社は真剣に考え、速やかに提示することを約束した(〈証拠略〉)。

10  同年六月四日、原告神力、同遠藤及び同東は、川崎会長及び白鳥社長に対し、右条件をいつ提示するのか六月五日までに回答するよう求めるとともに、提示された条件に満足いかない場合は、七月一日をもって退職する旨通知した(〈証拠略〉)。

11  同年六月三〇日午前一〇時五四分頃、白鳥社長は、川崎会長に対し、次のファックス文書二通を送信し、同会長の同意を求めた。

すなわち、一通は、「原告神力、同東及び同遠藤に対する回答」と題する文書(〈証拠略〉)であり、「転職には最低半年間が必要である。二〇有余年、共に苦労してきた者が職なき生活を送ることは忍び難い。」とし、「本年一二月末まで勤務時間中の転職活動を認める。特に必要と認めた時は、来年三月末まで延長を認める。給料等の待遇は現状のままとする。賞与は、平均社員評価による。当社御茶の水分室を転職活動の拠点とする。本年一二月末以前の再就職を認める。この場合、最低本年一二月末までの所得(給料、賞与)を保証する。退職金の額については、会長が社長と話し合い、合意した額とするが、その具体的条件の交渉は社長に一任する。退職金の合意事項は各当事者と社長との間で文書にまとめることとする。会社が必要と認めた場合には、右原告らと会社との間で正式の文書が取り交わされる。本回答書の内容が当事者以外に口外された場合には口外した者の退職金額は退職規(ママ)定に準じた額とする。」というものである。

もう一通は、「会長・社長の合意事項、原告神力、同東及び同遠藤の退職問題について」と題する文書(〈証拠略〉)であり、「右原告三名に対する退職金の額は、通常の退職金額プラス金( )百万円とする。他に、社長が本問題を完全にかつ速やかに解決するため、特に必要と認めた時は、各人に金( )百万円を上乗せすることを認める。但し、本金額の右原告三名に対する合計額は、先に社長と合意した社長の退職金額から減額するものとする。右原告三名と社長に対する退職金が支払済み次第、本合意書は、会長・社長の両者の面前で破棄するものとする。」というものであった。

なお、白鳥社長に対しては、平成四年五月二一日頃、川崎会長から退職慰労金として金二億円の支払が提案されていた(〈証拠略〉)。

白鳥社長は、平成四年七月一日頃、原告高橋を除く原告三名の各自に対し、退職慰労金額として最高二〇〇〇万円を支払うとの提示をした。その後、同月末までに右原告らに提示された退職功労金額は、原告東及び同遠藤については各金二〇〇〇万円、原告神力については金一五〇〇万円であり、いずれも会社の負担分は金一〇〇〇万円であり、残余の金一〇〇〇万円ないし金五〇〇万円は、白鳥社長が会社から受け取るべき退職金二億円のうちから同社長が負担するとの説明がなされた。

白鳥社長は、同月六日頃から同月末にかけ、原告高橋に対し、正規の退職金として金六五〇万円を提示し、併せて退職功労金額として金一三五〇万円を提示した。その際、会社の負担分は金一〇〇〇万円であり、残余の金三五〇万円は白鳥社長の負担分であるとの説明がなされた。なお、平成四年一〇月から同年三月までの所得(給与・賞与)補償として金四〇〇万円を支払う旨の提示がなされた。

右提示に対し、右原告らは、いずれも同意することとした。

12  同年七月八日頃、川崎会長は、「軽うつ状態」の診断を受け、三輪弁護士は、同月九日、その旨を白鳥社長及び川崎仁副社長に報告し、「川崎会長の回復を待つこととし、その間、白鳥社長において会長の決裁を留保する形で実務を処理する。但し、川崎会長には書面をもって連絡し、後日の事実関係の証明に備える。また基本的に、当面著変をもたらす処分は控える。」旨の了解を得た(〈証拠略〉)。

13  平成四年七月上旬頃、赤沢が退職し、同人に対し、退職功労金として金一〇五〇万円が支払われた。同人に対する右支払に関する交渉は、川崎会長自身が行っていた。赤沢の勤続年数は、原告東及び同遠藤よりは短いが、同神力よりは長く、自動翻訳装置の開発を担当していた。

14  同年七月一六日、白鳥社長は、川崎会長にファックス文書を送信し、「原告四名については、私の最終プロポーザルに基づき、七月二日に会い(原告高橋とは七月六日)、プロポーザルの線で妥協に向かっています。」との報告をした。

これに対し、翌一七日に、川崎会長から白鳥社長に対し、右ファックス文書に付記することにより、「すすめて下さい。」との回答があった(〈証拠略〉)。

15  平成四年七月三〇日、白鳥社長は、原告神力に対し、原告四名に対する前記各退職功労金の金額、及び同金額について会社負担分と白鳥負担分の内訳を記載した文書(〈証拠略〉)を交付した。

そして、同日、白鳥社長と原告東及び同遠藤各自の間に、それぞれ合意書(〈証拠略〉)が作成された。

その内容は同一のものであり、「原告が主として御茶の水分室を利用し、転職活動することを会社は認める。会社は、原告に以後会社業務に従事することを命じない。但し両者が合意する場合は別扱いとする。原告は建白書を作成し、退職日までに会社に提出する。右事項は、平成四年一二月三一日までとする。但し、同日までに原告の転職が決まらない場合には、平成五年三月三一日までの期間延長を会社は認める。原告の転職が平成四年一二月三一日以前に定まった場合には、会社は平成四年一二月三一日に退職したものとみなし、それまでの給与(賞与分を含む。)、退職金などを計算し支払う。なお、給与は現状のままとし、賞与は平均社員評価による。退職金は、就業規則に基づく通常の退職金のほかに特別退職金として金二〇〇〇万円を、平成四年一〇月二〇日又は退職日が平成四年一〇月一日以降の場合には、退職日後一か月をめどに会社が支払う。本合意書は、当事者間のみの合意事項を証するものであり、一切他言することは認められない。万一、原告が他言したことが判明した場合には、会社は特別退職金の支払を取り止める。原告の他言の事実が平成五年一二月三一日までに判明した時は、会社は支払済退職金の返済を原告に求めることができる。この場合、原告は返済の義務を負う。本合意事項は川崎会長の承認を白鳥が得ていることを確認する。原告は、本合意書に署名後、会社に迷惑をかける行動を一切とらないことを誓う。」というものであった。

同日午後一一時五八分、川崎会長から白鳥社長に宛て、「私として今社長に行ってもらいたいことは四人の早期解決です。」とのファックス文書が送信された(〈証拠略〉)。

16  平成四年七月三一日午後一二時四一分、川崎会長の求めに応じ、白鳥社長は、原告遠藤との間に作成した合意書をファックス文書で送信した(〈証拠略〉)。

すると、同年八月二日、川崎会長から白鳥社長に対し、ファックスにより、「あなたの交渉の努力について私は不満です。したがってあなた方の提案としては認めますが、あなたは権利(ママ)を逸脱し、義務を怠っています。私が考えてから決めます。」との文書が送信された(〈証拠略〉)。

これに対し、白鳥社長は、同月四日、川崎会長に対し、「九二・八・二の文書を拝見してビックリすると同時に激しい怒りを感じました。正常の人と話し合っているとは思えません。六月末に私の作った案について会長はよく考えてくれたと了承し、それに基づいて幹部と話し合ってきたものです。私の提案通りに話し合していることはその後の何度かのファックスで会長に連絡しています。しかも私の提案には各自に対し、一〇〇〇万円を私の退職金を減額して支払うと会長と二人の間だけの合意書で明らかにしているのです。全く理不尽な文書です。幹部との合意書をほごにしてよいのですね。」などとする抗議のファックス文書を送信したが、同月七日、川崎会長から、「ファックス拝見しましたが、私の考えは八月二日の文書のとおり変わりません。現在のバブルのはじけた経済状況の中であなたの考えは甘すぎるのではないですか。」などと付記されたファックス文書が返信されてきた(〈証拠略〉)。

17  原告らは、いずれも平成四年九月三〇日をもって、被告会社を退職した。

被告会社から、各原告に対し、同年一〇月二〇日頃、次のとおり規定に基づく退職一時金等の支払がなされた(〈証拠略〉)。

〈1〉 原告東(勤続年数二九年一一月)

退職一時金 金一八一四万六七〇〇円

賞与 金一五五万六五三三円

最終手取り額 金一八五四万九八〇六円

〈2〉 原告遠藤(勤続年数二八年一〇月)

退職一時金 金一七四六万八六〇〇円

賞与 金一五四万七二〇〇円

最終手取り額 金一四〇三万七五九六円

〈3〉 原告神力(勤続年数一一年四月)

退職一時金 金七三三万八八〇〇円

賞与 金一五四万五六〇〇円

最終手取り額 金七六一万〇二二八円

〈4〉 原告高橋(勤続年数一五年三月)

退職一時金 金七〇四万三三〇〇円

賞与 金一〇八万五八六七円

最終手取り額 金七七一万九二四六円

二  本件合意の成立について

右認定事実によれば、白鳥社長は、退職慰労金に関し、原告高橋を除く原告らとの間で、平成四年七月一日から同月三〇日までの間に、原告東及び同遠藤に対し、被告会社から各金一〇〇〇万円、白鳥社長の退職金から各金一〇〇〇万円と、平成四年一〇月分ないし一二月分の給与相当額、原告神力に対し、被告会社から金一〇〇〇万円、白鳥社長の退職金から金五〇〇万円と、平成四年一〇月分ないし一二月末分の給与相当額、原告高橋との間で、平成四年七月六日頃から同月三〇日までの間に、同原告に対し、被告会社から金一〇〇〇万円、白鳥社長の退職金から金三五〇万円と、平成四年一〇月分ないし同五年三月分の給与相当額の各支払をする旨の合意(本件合意)をなしたものと認めるのが相当である。

しかしながら、右白鳥社長の退職金からの支払分については、白鳥社長が個人的に各原告に対し、支払を約したものであるから、これを被告会社に請求することはできないと解すべきである。

そうすると、被告会社が原告らに支払うべき退職慰労金の金額としては、各原告につき、それぞれ金一〇〇〇万円に加え、平成四年一〇月分から同年一二月分まで(原告高橋については同五年三月分まで)の給与相当額であると認められるが、右給与相当額は、証拠(〈証拠略〉)により、次のとおり算定される。

1  原告東 金一七五万一一〇〇円(金五八万三七〇〇円×三月)

2  原告遠藤 金一七四万〇六〇〇円(金五八万〇二〇〇円×三月)

3  原告神力 金一七三万八八〇〇円(金五七万九六〇〇円×三月)

4  原告高橋 金二四四万三二〇〇円(金四〇万七二〇〇円×六月)

三  通謀虚偽表示または心裡留保について

被告は、白鳥社長は、財務、会計担当であり、人事に関する業務は、川崎会長がこれを担当していた。退職功労金等支払に関する交渉は、人事に関するものであり、白鳥社長には、右交渉に基づく妥結権限がなかった旨主張し、前記一8のとおり、平成四年五月七日、川崎会長、白鳥社長及び川崎仁副社長の三名の代表取締役の間で、川崎会長は企画・研究・製造・営業・宣伝・人事を、白鳥社長は財務・会計を、川崎仁副社長は総務を担当する、被告会社の意思決定は、三代表取締役の全員一致を原則とし、不一致のときは多数決による旨の業務分担の合意がなされたことが認められる。

ところで、前記一11に認定したとおり、白鳥社長は、川崎会長に対し、平成四年六月三〇日午前一〇時五四分、二通のファックス文書(〈証拠略〉)を送信したが、そのうち、「神力、東、遠藤に対する回答」と題する文書(〈証拠略〉)には、「原告らに平成四年一二月末まで転職活動をすることを認め、その前に他に再就職したときは右期日までの給与・賞与を保証する旨、退職金の額については、川崎会長と白鳥社長の合意の範囲内とするが、具体的交渉は白鳥社長に一任する」旨記載され、またもう一通の「会長・社長の合意事項」と題する文書(〈証拠略〉)には、「原告らに対する退職金の額は、通常の退職金額プラス( )百万円とし、他に社長が本件を解決するため必要と認めたときは各人に( )百万円を上乗せすることを認め、右上乗せ額は、白鳥社長の退職金額から減額する」旨記載されているが、右各かっご内は空白となっており、原告らに支払うべき退職慰労金の具体的金額の記載がなく、右ファックスを送信した時点で、白鳥社長が川崎会長に原告らに支払うべき退職慰労金の金額を明確に告げていたかどうか疑問の存するところである。しかしながら、白鳥社長は、前者の文書に「六月二九日(六月三〇日の誤記と認められる。)、会長にファックス。午後よく考えてくれたと会長が電話で同意する。」と付記しているところ、白鳥社長は、右ファックス送信後、原告らと退職慰労金の金額について精力的に交渉を持ち合意に達していること、平成四年七月一六日、白鳥社長が川崎会長に対し、原告らとの交渉の経過を報告したファックス文書には、「最終プロポーザルに基づき、プロポーザルの線で妥協に向かっています。」と記載されているが、川崎会長は、特に疑問を呈することなく同月一七日に「すすめて下さい。」と回答しており、白鳥社長のなした「最終プロポーザル」、すなわち被告会社の提示する最終退職慰労金額について、川崎会長と白鳥社長との間に既に合意がなされていることを窺わせること、川崎会長が平成四年八月二日、白鳥社長に対して送信したファックス文書において、本件合意について異議を唱えたのに対し、同社長は、同月四日、川崎会長に宛てたファックス文書において激しく抗議していることからすると、平成四年六月二九日から同年七月一七日までの間に、白鳥社長は、川崎会長に対し、原告らに支払うべき退職慰労金の金額と、そのうち白鳥社長の退職金からの負担分について告げており、同会長は、これに同意していたと推認するのが相当である。

のみならず、代表取締役は、各自業務執行権を有するのであって、これを内部的に制限するには、定款の規定またはこれに基づく株主総会の決議もしくは取締役会の決議を要するものと解すべきところ、本件において右定款の規定の存在や、これに基づく株主総会ないし取締役会の決議がなされたことの主張・立証はなく、「三代表の見解」なる代表取締役相互間の合意をもって代表取締役各自の有する業務執行権を制限することはできないというべきである。したがって白鳥社長は、単独でも、原告らとの間に退職慰労金の支払に関する交渉をなし、妥結する権限を有していたと認めるべきであるから、原告らが右「三代表の見解」と題する文書の内容を知っていたとしても、白鳥社長と原告らとの間になされた本件合意が通謀虚偽表示あるいは心裡留保により無効となることはないと解するのが相当である。なお、白鳥社長が本件合意をなすに当たり、原告らと結託するなどして、自己や原告らの利益を図ろうとしたとの事実を認めることはできない。

四  無権代理について

三に認定判断したとおり、白鳥社長は、本件合意をなすにつき川崎会長の同意を得ていたと認められるのみならず、原告らとの間に単独でも本件合意をなす権限を有していたと認めるべきであるから、本件合意が無権代理行為によるものとして無効となることはないと解すべきである。

五  公序良俗違反について

被告が、原告らが川崎会長を脅迫する手段として用いたと主張する「ドカン!」とは、何を指すものかも明らかでなく、本件全証拠によるも、本件合意をもって、公序良俗に反し無効と認めるに足りない。

六  結論

以上によれば、原告らの本訴請求は、原告東につき金一一七五万一一〇〇円、原告遠藤につき金一一七四万〇六〇〇円、原告神力につき金一一七三万八八〇〇円、原告高橋につき金一二四四万三二〇〇円、及び右各金員に対する支払期日の翌日である平成四年一〇月二一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから認容することとし、その余は失当として棄却することとし、主文のとおり判決する。なお仮執行宣言は相当でないから付さないこととする。

(裁判官 吉田肇)

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